「吉田流あん摩術」は、江戸時代に吉田久庵によって創始されました。弦楽器の弦を弾くように筋線維を弾く<線状揉み>という独特の揉み方が特徴です。また、肘を使って揉む<肘揉み>も有名な手技のひとつです。あん摩の歴史を振り返ると、古代中国にさかのぼります。伝えられたは、その後いろいろなアレンジが施され、いくつかの流派が生まれました。その代表格が吉田流あん摩です。
埼玉県の一農家に生まれた吉田久庵は、医師を志します。郷土で学んだ後、長崎に渡り、オランダ医学の清楚さに感銘し、その視点からはりきゅうや導引を研究、吉田流を完成させました。
その後、二代、三代とその技術を受けついで来た吉田流の本流は、三代目で絶えてしまいます。この緊急事態に一念発起したのが、三代目の愛弟子である平川荘作でした。昭和25年、中央区八丁堀に東京マッサージ師養成所をつくり、現在の東京医療福祉専門学校に吉田流の技を受け継ぎました。この度は、吉田流あん摩術を多くの方に広く知っていただくために当鍼灸マッサージ「久庵」として開設いたしました。
日本の伝統的あん摩術の2大流派の一つとされている「吉田流あん摩術」は吉田久庵一世(享和3年【1803年】生まれ)によって、今から170年余り前(天保3年【1832年】に作られたものです。弦楽器の弦を弾くように筋線維を弾く”線状揉み”という独特の揉み方が特徴の一つです。
また肘を使って揉む”肘揉み”も有名な手技の一つです。
その後、二世はこの術を継承しつつまた弟子の育成にも務め、吉田流あん摩術の隆盛を極めましたが、その一方で弟子が増え過ぎたことにより同門者による患者集めなどの競争が激しくなるなど弊害を招くこととなりました。そこで一定の距離をもって開業するなどの共済のルールを設けたのが二世でした。
三世は二世久庵の次男(名を仁造)として明治12年(1879年)に生まれ、明治29年(1896年)、二世の逝去に伴ない東京慈恵委員医学校を中退し吉田流あん摩術を継承することになりました。三世は継承・発展のために講習所の設立や鍼灸医学校開校など教育者として尽力し、また西洋医学に関しても大正8年(1919年)に帝国大学医学部物理的療法科研究所嘱託として研究と臨床に携わり、技術の向上に努めました。
昭和21年(1946年)、吉田久庵三世は疎開先である栃木市に於いて逝去(享年68歳)され、後継については四世が辞退し後継者不在となりました。
そこで三世の愛弟子であった平川荘作が弟子達の思いを結集し、昭和25年(1950年)、中央区八丁堀に東京マッサージ師養成所をつくり、「吉田流あん摩術」の伝承に努めてきたのです。現在の東京医療福祉専門学校はこの流れを受け継ぎ発祥当時からの吉田流の技を、次の世代に伝えるためにある全国で唯一、本流を継承する学校です。